原作The Giving Tree は、シェル・シルヴァスタイン作の絵本です。
1964年にアメリカ合衆国で出版されました。
その後1973年にフランスで出版。
日本では1976年に出版され、
それ以来のロングセラーとなっているおおきな木。
どんなお話なのでしょう。
果たしておおきな木の行為は無償の愛の行く末は?
解釈が分かれるそんなお話の伝えたいことや名言
簡単なあらすじや感想
二人の訳者の訳の違いなどをお伝えしていきます。
おおきな木のあらすじ
昔リンゴの木があって
そこにやってきて遊ぶ一人の少年がいました。
少年はその木やおちばで遊んだり休んだりして
毎日過ごしました。
少年は木が大好きで
木も少年が大好きでした。
しかし、少年は成長していきます。
やがて木と過ごすより
彼女と過ごしたり
お金が欲しくなったり、
家庭をもちたくなったりして
少しずつりんごの木と過ごす時間が
開いていきました。
それでも時々何かが欲しくなると
木のところへ行き
木に話しかけます。
それに応えるために
りんごや枝や幹などを与えていきます。
何もなくなってしまった木が
老人になった少年に最後に与えたものは?
おおきな木の伝えたいこと・わたしの解釈
おおきな木とは?
少年を母のような存在で見ていたものだろうと思います。
原文で木のことをShe(彼女)と書いています。
He(彼)ではないのですね。
そこから考えても
大きな母のような愛をもって接しているように感じられます。
無償の愛について
The Giving Three
なので直訳すると「与える木」です。
確かに最後まで
何を言われても与え続けているのを読むと
そして、それが幸せだったというのを読むと
無条件に少年のことが好きで
少年だった男の人の希望に沿うように
希望をかなえようと与え続けていて
それが気にとっての幸せだったのだろうなと思います。
親になってみると
確かに、どんな子でもやっぱり、
子どもの思いはかなえてほしいと思うし
ある程度の年齢までは助けてあげようと思います。
ただ、親としてはもちろんいつまででも助けてあげたい気持ちはありますが
自立してくれるのが一番の願いで、
側にいてもらいたいけど
でも巣立ってほしい…そんな思いでいます。
この木は、
少年に幸せになってほしいから
色々なものを身を削ってまで与えてきたけれど、
本当は、
いくつになっても少年が側にいてくれるだけで
それが木にとっての幸せだったのではないかな
と思いました。
少年があんなに尽くしてくれた木がいる
その場所から離れるのを望み
離れるために幹をあげた。
その後の一文
それで木はしあわせに…なんてなれませんよね。
木は、近くにいてほしかったのではないかなと思います。
与えるだけでいいのか?
少年の立場に立つと
木に言えば
何とか助けてくれる。
別に文句も言わず与えてくれる。
少年にとって
木はどんな存在だったのかなと考えてしまいます。
便利屋さんだったのか?
それを思うと木の行為は何だったのだろう…
少年を幸せにしたいために色々与えてきたけれど
それは、少年にとって幸せのためになったのだろうか。
何ともいいがたい矛盾を感じてしまいます。
幸せになるためにしていた木の行為は
はたして、少年の幸せにつながったのだろうか?
おおきな木の感想
木は少年の幸せを望んで与え続けてきたのでしょうね。
私も、子どもたちの幸せのために
自分の時間ももちろん確保しましたが
でも最優先は子どもたちでした。
そんな気持ちを相手は受け取ってくれているかどうか。
ただ、与え続けているだけでは
甘えが生じるのかな?
などと、ちょっとシビアな目でこのお話を読みました。
ただ、
最後、疲れ切って年老いた老人となって戻ってきたのは
木の元だったことを思うと
少年は少年でずっとずっと
木の存在は大切なものだったのかもしれないと思います。
わたしの存在も、
いつでも戻ってこられる存在でいたいなと
思いました。
おおきな木二人の訳者
1976年に藤田圭雄(ふじた たまお)の翻訳により
実業之日本社から出版された
という記述も見かけたのですが、
探してみたところ、
その記事以外には見当たらず良く分かりませんでした。
そこで、今回は私の手元にある
本田錦一郎さんと村上春樹さんの訳を比べてみたいと思います。
比較のために一応原文にもあたっています。
もともとは、1976年に本田錦一郎さんの訳で篠崎書林から出版されていました。
しかし、翻訳者がなくなり、
出版社が継続して出版を続けることができなくなったという事情から
2010年に村上春樹さんの訳で訳を改め、
あすなろ書房から出版されたそうです。
その際、混乱を避けるために
「おおきな木」という題は変更せずに出版したそうです。
おおきな木村上春樹訳
木の母性が伝わってくる訳だと感じました。
包み込むような優しいあたたかな言葉遣いで
まさに母が小さな子をたしなめているような語り口調で書かれています。
少年のことを年をとっても一貫して
少年と訳しています。
おおきな木 本田錦一郎訳
言葉が村上春樹さんより
言葉が短いと思います。
短い言葉を選びながら淡々とお話が進んでいく感じです。
原文に忠実に文章を切っています。
最初のページあたりは、
2ページや3ページで1文なのですが、
そこらへんも忠実に文を終えています。
村上さんのは、1ページずつ1文にして文を完成させています。
村上春樹訳と本田錦一郎訳の違い
木から幹を切り取り船を作って
少年が行ってしまった場面で
原文は
And the tree was happy…
but not really.
です。
きは それで うれしかった…
だけど それは ほんとかな。
(本田錦一郎訳)
と
それで きは しあわせに…
なんてなれませんよね。
(村上春樹訳)
でしょう。
訳者の解釈がここに含まれているのだろうなと思いますが
皆さんは、どちらの訳がぴったりきますか?
読書は読み手にゆだねられるので
本来なら、
自分だったらどう訳すかな?
と考えながら読むのもいいですね。
難しい英単語は使われていないので
中学生から十分に原文で読めます!
happyを幸せと訳すかうれしいと訳すか
村上さんは幸せ
本多さんはうれしい
と訳しています。
ちょっとした言葉の違いで意味も似ていますが
似ているようで違っています。
幸せは、より大きな充実感があるような
より大きなもので包まれているようなニュアンスを私は感じ取れたのですが
皆さんはいかがですか?
おおきな木の名言
And the tree was happy.
いろいろな場面で出てきますが
どのhappyが共感できるかなぁと考えました。
うーん。
わたしは、やっぱり、最初に出てきた
少年が一緒に遊んでいたころのhappyに共感します!
子どもが一緒にいてくれたことの幸せは
何物にも耐えがたかったなぁと…
おおきな木の登場人物や出版社など
著者 | シェル・シルヴァスタイン作 村上春樹(訳) |
出版社 | あすなろ書房 |
出版年月日 | 2010年9月10日 |
ページ数 | 60 ページ |
定価 | 1320円 |
対象年齢 | 3歳から老人まで(本田錦一郎訳の本より) |
登場人物 | りんごの木、少年 |
おおきな木の作者シルヴァスタインの他のおすすめ絵本「ぼくを探しに」は、
こちらで紹介しています。
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