1933年に初めて本に掲載され
100年たった今も国語や道徳の教科書に採用されている泣いた赤鬼。
多くの人がこの話を知っているのではないでしょうか。
私も、学芸会で1回子どもたちとやったことはあり、
内容はなんとなく覚えているものの
読んだか?と言われると良く覚えていませんでした。
なぜ、こんなに長い間教科書に掲載されているのか
また、どんなところがこの話の魅力なのか
そんなことも考察していこうと思います。
改めて読み直してみると青鬼に対して
当初抱いていたこととまた違った解釈も生まれてきました。
そんな泣いた赤鬼について、
悲しい結末も解釈します。
泣いた赤おにのあらすじ
ある山のがけのところに
若い赤鬼がすんでいました。
その赤鬼は、やさしく、すなおな鬼でした。
そして、
他の鬼とはちがい、
おにのためならよいことをしたい
その上、人間の仲間になって
仲良く暮らしたいと思っていたのでした。
家に来てもらおうと
家の前に立札を立てました。
しかし、
人間は用心してなかなか家には
たずねて来てくれません。
ちょっと覗いてみる人もいましたが、
その木こりに声をかけると
終われていないのにもかかわらず
木こりは逃げてしまいます。
気がみじかかった鬼は、
立札を折ったり、踏んだりしておこるのでした。
そこへ、
遠くの山奥の家から来た仲間の青鬼が来て理由をたずねました。
赤鬼から話を聞くと
ある作戦を青鬼は提案するのでした
その、作戦とは…
青鬼が村へ行き暴れるので
そこを赤鬼が青鬼をこらしめるということでした。
作戦は成功したのですが…
続きが気になる方は次を読んでみてください。
ネタバレを避けたい方は次は飛ばしてくださいね。
ないた赤おにの悲しい結末を解釈
赤鬼の家に人間たちが遊びに来るようになり
人間の友達が増え楽しく暮らしていました。
しかし、あの日以来一度も青鬼は赤鬼の家にやってきません。
気になった赤鬼は、青鬼の家を訪ねました。
青鬼の家を訪ねるとそに青鬼はいなく、
張り紙がはってあるのでした。
それを読んで赤鬼は…
泣き崩れてしまうのでした。
それは、
青鬼が赤鬼と付き合いを続けることで
人間が赤鬼を疑わないとも限らないので
赤鬼から離れると
自分の家を離れるのです。
この赤鬼の涙は何を感じての涙だったのでしょう。
一番大切なものに気付き、
時の遅さに涙した?
それとも、
青鬼のどこまでも
自分を思ってくれている
やさしさを思い涙を流したのか。
他にも解釈はあるかもしれませんが
どちらにしても悲しい結末と言えますね。
泣いた赤おにの伝えたいこと
青おにの赤おにを思いやる
自分を犠牲にしてまで
相手を思いやる行動
とことん、相手を考えるその
無償の愛とでも言いましょうか…
そんな思いやり、友情を感じずにはいられません。
そして、そこに
焦点が当たりそうですが…
あえて、私は別の角度から…も考えてみました。
わたしはおににうまれてきたが、
おにどものためになるなら、
できるだけ、
よいことばかりをしてみたい
いや
そのうえに
できることなら
人間たちのなかまになって
なかよくくらしていきたいな
と言う言葉があります。
人間と仲良くなることが
赤鬼の願いだったことに間違いはありません。
しかし、
「そのうえに」とあるので
一番のねがいは、
おにたちのためなのではないかと。
鬼=悪者、らんぼうもの
という偏見をとりはらいたい
鬼は、みんなそういうものではなく
優しい鬼だっているんだよ
ということを人間に伝えたかったのではないでしょうか。
赤鬼だけが優しくて、
赤鬼自身だけが人間のなかまになってなかよくくらすこと
それが、赤鬼の本当の理由ではなく
鬼と人間との共存。
そんなことを感じました。
偏見って人間の間だけでも生じますよね。
本当の友達
本当の認め合い
それが何かを考えるきっかけを
この泣いた赤おにはくれるのではないでしょうか。
また、
ほんとうに、
その赤鬼は、
ほかのおにとは
ちがうきもちをもっていました。
この文をよむと
鬼は、やっぱり乱暴だったのかもしれないですね。
しかし、
この泣いた赤鬼だけを見ると
青鬼も決してらんぼうものではなく
友達思いの優しい鬼ではないでしょうか。
「鬼ってこういうものだ」と
赤鬼自身も鬼を決めつけていたのかもしれないですね。
あるカテゴリーに自分を入れ込まないように
もっと柔軟でいたいなとも思います!
泣いた赤鬼の魅力は?
泣いた赤鬼の話は、
国語の教科書と道徳の教科書の
両方に取り上げられ
また、学年も他学年にわたっているという
他に類を見ない教材です。
その上で魅力を考えてみると
どの年齢の子達にも
それぞれの読み取り方や
投げかけ(問い)ができるということが魅力なのかなと
思われます。
子どもの感受性をはぐくむのに
それなりにおすすめできる絵本と言うことが考えられますね。
始めは
青鬼のやさしさに心を奪われるかもしれません。
赤鬼に「よかったね」と思うことから始まるのかもしれません。
しかし、そのうちに青鬼の自己犠牲を伴う行動について
疑問をもつようになるかもしれません。
本当の友達、友情について考えることもできますね。
自分ならどうするか
両者ともハッピーエンドで終わるためには
どうしたらよかったのか
そんなことも考えられそうです。
そんな、色々な立場から多面的に
人物や考えについて
自分なりに読むことができるのが
この泣いた赤鬼の魅力だと思います。
泣いた赤鬼国語の教科書はいつから掲載?
泣いた赤鬼は、
「おにのそうだん」という題で(すでに仮名遣いが…)
1933年8月号のカシコイ小学二年生で掲載をスタートさせました。
初版は、1935年7月に刊行されてた
「ひろすけひらかな童話」に所収されたそうです。
その後、
1971年(昭和46年)と1974年(昭和49年)に
日本書籍、東京書籍、光村図書の
小学3年生、2年生の教科書に採用されました。
作品は掲載されておらず、読んで感想を書くという扱いでした。
2011年(平成23)年にふたたび教育出版の2年生の教科書に採用されました。
当時の国語の流れもあるのでしょうが
登場人物の気持ちを読み取らせたいような
指導書の扱いだったようです。
国語なので文章をもとにした読み取りが良いと思いますが
どうも、気持ちを読み取るとなると
道徳色の濃い国語だったのかな?と
疑問がわきました。
道徳も
青鬼の友情についてフォーカスしているものが多くあったようです。
犠牲の上に成り立っている友情について
考えているものは少ないようでした。
令和6年度でも泣いた赤鬼は、
教育出版の2年生で掲載されます。
赤鬼の気持ちの変化を読み取るというよりは
赤鬼と人間との関りや
赤鬼と青鬼の関わりが
どのように変わったのか着目させたり
青おにと赤おにがどんな鬼なのかを
考えたりさせ
最後は心に残ったことを紹介し合うという学習のようです。
場面の変化も
お話も分かりやすく
教科書に長年取り上げられている
泣いた赤鬼。
教科書が違っていてまだ読んだことがない
知らないという子には
読ませたい1冊ですね。
読書感想文なども
批判的にも読めるし
自分のこととして比べながら書くのにも
書きやすいお話ではないかと思います。
泣いた赤おにの登場人物や出版社など
泣いた赤おには多くの絵を変えて、多くの出版社から出されています。
その中で、多分一番古い年に出版されたと思われる本を紹介します。
今でもその当時のまま出版され続けていることを思うと
どれほど、この泣いた赤おにが愛されているのか
読まれているのかを想像することができますね。
おまけに、その偕成社からでもイラストレーターを変えて
2冊も出版されています。
著者 | はまだ ひろすけ ぶん いけだ たつお え |
出版社 | 偕成社 |
出版年月日 | 1965年12月 |
ページ数 | 34ページ |
定価 | 1100円 |
対象年齢 | 4歳から |
登場人物 | 赤おに 青おに きこり 村人たち |
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