絵本作家で児童文学研究家の加古里子(かこさとし)さんを
ご存じでしょうか。
残念ながら亡くなられているのですが
今も復刻版や絵本が出版されています。
そんなかこさとしさんの死因や経歴
奥さんやお子さん、おすすめの作品など紹介します。
かこさとしWikiプロフィール
本名 中島 哲(なかじま てつ)
ペンネーム 加古里子(かこさとし)
生年月日 1926年3月31日
没年月日 2018年5月2日
享年 92歳
出身地 福井県越前市
最終学歴 東京帝国大学(現東京大学)工学部応用化学
かこさとしさんの経歴~作家になるまで
東大のそれも工学部卒業のかこさとしさんと
絵本作家ということがどうにも結びつかず、調べてみました。
もともと、絵を描くことは好きだったようです。
特に7歳の6月に東京都の板橋区に転居したときに
近くに絵が上手な子がいたことや
小学校の放課後の指導で、より絵を描くことが好きになりました。
絵を描くことは小さいころから好きだったのですね。
好きなことを続けていると、
自然に周りに自分を高みに連れて行ってくれるような人に出会えるのが
不思議ですよね。
高校2年から軍需工場に動員されていました。
動員のために、友達にも会えず交流目的で作った
回覧雑誌に載せていた俳句を
国語の教師だった中村草田男に見いだされ俳句の指導を受けました。
私は、高校時代が一番楽しく友達との交流も続いているので、
高校2年生くらいから、すでに動員があり、
友達とも会えなかったというのも
辛い時代だったのだろうなと思います。
中村草田男さんと言えば、私も名前を聞いたこともあり
俳人だったそうなので、
言葉に対する感性やセンスは光っていたのでしょう。
もともとかこさとしさんには、
絵本作家としての素地があったのではないかと思うエピソードでした。
ではなぜ、工学部なのか??
戦争が関係しているのかなと、勝手に想像しています。
すでに高校2年の時に動員がかかって工場などで働いたのが
きっかけかもしれないなと思いました。
どこを探しても、答えを見つけることができませんでした。
大学では演劇研究会に入って
舞台装置のデザインや制作、子ども向けの演劇脚本を書いていました。
子どもを呼んで大学で劇を上演していました。
うーん。やっぱり文系ではないのか??と思ってしまいます。
大学卒業後昭和電工で研究者として働きながら
川崎市内の工場の労働者住宅街で子ども会に関わり
自作の紙芝居、手作り絵本などを描いて、子どもと関わっていました。
理系の職業だと研究に没頭しているイメージがありませんか?
私の中には、こもって研究しているイメージが勝手にあったのですが、
かこさとしさんは、
キャリアアップもして企画調整部長まで務めるほど
仕事もバリバリされていたのに
まったく別の子どもとの世界をもっていたことに驚きました。
勝手な思い込みはよくないなと
改めて気付くことができました。
かこさとしさんは、
才能もあって、バイタリティもある方だったのですね。
そして、かこさとしさんは、
作品を作ったり子どもと関わることが好きだったりしたのでしょう。
私は、仕事にだけ明け暮れていたので
私には想像できない時間の使い方をされていたのだろうなと思います。
ある意味、息抜きというか気分転換と言うか
仕事と切り離してよい
プライベートの時間を過ごされていたのかもしれないですね。
時間の使い方がうまかったのだろうなと思います。
子どもと関わり、お話を作っていたので
紙芝居から絵本に移っていったのは必然だったのかもしれないですね。
31歳の時教育紙芝居研究会発行「紙芝居」の
編集・印刷責任者になりました。
この研究会は、童心社の前身だそうです。
大学生のころからやっていたことが
自然と絵本作家につながっていっていたのですね。
不思議な縁を感じますが、何かに導かれていたようですよね。
子どもたちを楽しませたいという気持ちを持ち続けていて、
それがチャンスにつながっていったのかなと思います。
33歳の時「だむのおじさんたち」で絵本作家デビューを果たしました。
その後47歳で早期退職し作家に専念されました。
14年間も二足のわらじを履いていて
素敵な作品を世に出していたなんて、尊敬しかありません。
今なら、副業をされていたのですね。
私は仕事以外のことに時間を費やしているゆとりがなかったので
時間のやりくりなどどうしていたのかと思います。
かこさとしさんの家族は奥さんや子どもは?
かこさとしさんの家族は、奥さんと二人の娘さんがいます。
奥さんとは、かこさとしさんが29歳の1959年に結婚しました。
当時かこさとしさんが勤めていた昭和電工の部長秘書でした。
かこさとしさんの子どもは娘が二人!
長女の鈴木万里(すずきまり)さんは、
加古総合研究所にお勤めで、
晩年のかこさとしさんをお手伝いされていました。
作品の著作権の管理もしています。
かこさとしさんが亡くなってからも
本が出版されたり復刻版が出版されているのは
万里さんの影の支えの影響が大きいのでしょうね。
万里さんもかこさとしさんの作品が
子どもに影響を与え続けていることを認めているのでしょうね。
自分の子どもに認められているかこさとしさんも素敵ですね。
万里さんは、かこさとしさんについて
講演会やセレモニーなどで話をしています。
高校の先生だったので、
話すのはお上手で人を引き付ける技もお持ちじゃないかなと思います。
私は同じ教師という職業でしたが、
あまり話すことは、得意ではないのでうらやましいです。
次女は亀津絵里さんといいます。
藤沢市でペインクリニックを営む院長です。
お二人のお子さんは大学にも行き
聡明な方たちだったのだろうと思いました。
かこさとしさんも東大卒なので
お父さんの遺伝も受け継いでいそうですね。
お二人ともお名前が変わっているので、結婚されていますよね。
お孫さんも数人いたようです。
かこさとしさんは、
素敵な家族に囲まれて幸せな生活も送っていたのだろうなと思いました。
かこさとしさんの代表作
かこさとしさんの作品は、700点以上あります。
私が選ぶ代表作は、
学校の子どもたちに読み聞かせを必ずしていた作品で
我が子たちもしょっちゅう読み聞かせをせがんできた本を4冊です。
かこさとしさんの代表作①とこちゃんはどこ
とこちゃんはどこは
ウォーリーを探せのずっと前に出ていて
私が子どもだったころ
とこちゃんを探していたのを思い出しました。
絵本ももっていて、子どもたちに引き継ぎました。
かこさとしさんの代表作②からすのパンやさん
色々なパンが楽しいからすのパン屋さんです。
パンを見るだけでワクワクしてしまいます。
子どもたちとどんなパンが食べたいか
○○パンは、どこ??なんて会話しながら読み聞かせをしていました。
1年生の担任をしていた時
学芸会で選んだ演目でもありました。
知っている本を演じるのは、子どもたちも演じやすそうでした。
かこさとしさんの代表作③どろぼうがっこう
泥棒たちの学校があるのも、
くまさかせんせいとどろぼうたちのやりとりも、
そして、どろぼうがあまりにもまぬけなのもわらえる本です。
からすのぱんやさんとどろぼうがっこうも、
学芸会で指導して上演したこともあるので
私にとってもすごく思い入れのある本の一つです。
そして、
2013年にからすのおかしやさんやからすのやおやさんが発刊されたときは
子どものように嬉しかったのを覚えています。
学校の図書室で子どもたちと一緒に読んでいました!
実は私も子どもの頃からかこさとしさんの作品には、
好きな本がたくさんあったことに気付きました。
もう50年くらいどの子どもたちにも愛されている作品たちです。
かこさとしさんの死因の慢性腎不全とは?
かこさとしさんは、2018年5月2日に自宅の藤沢市で永眠されました。
かこさとしさんの死因は慢性腎不全だそうです。
そもそも腎臓とは…
沈黙の臓器と言われていて
腎不全がかなり進んでからではないと
症状に気付かないのです。
腎臓は、血液から老廃物をろ過して除去する働きがあります。
不要なものを尿として体外に排出します。
慢性腎不全は、腎臓の働きが長期にわたり、
少しずつ低下していき、正常時の30%以下に低下している状態です。
さらに症状が悪化すると透析や腎移植が必要になるそうです。
透析は半日とか1日近くかかると聞いたことがあります。
1日のほとんどを病院の中、透析をすることに使うので
精神的にも苦痛ではなかったのではないかと思います。
家族もそれを支えていらっしゃったのでしょうね。
最後の最後まで病気を抱えながらも
絵本の製作を続け、家族にも支えられ、
きっと、素敵な作家人生だったのだろうなと思います。
お亡くなりになったのは残念ですが
作品はいつまでも生き続けています。
わたしたちが
子どもたちに読み聞かせをしていくことで
作品はずっと生きていけますね。
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