「子どもの幸せと平和」をテーマに、優しい水彩画を
書き続けたいわさきちひろさん。
私がいわさちひろさんを初めて知ったのは
子どもの時読んだ
窓ぎわのトットちゃんに描かれていた絵でした。
その後、東京にある美術館に叔母と訪れました。
絵画の世界はあまり、好きではないのですが、
小さい額の絵もその時購入して
部屋に飾ったことを覚えています。
そんな、絵心のない私をも夢中にさせた
画家・絵本作家である
いわさちひろさんの
プロフィールや2度の結婚、
夫や息子、孫について紹介します。
三宅裕司との関係や功績や
死因についても紹介していきます。
いわさちひろwikiプロフィール
本名 松本知弘 (旧姓:岩崎)
生年月日 1918年12月15日
死没 1974年8月8日
出身地 福井県南条郡武生町(現:越前市)
最終学歴コロンビア洋裁学院
いわさきちひろの経歴
母親の単身赴任先で生まれました。
14歳の時、女学校教師だったお母さん(文江)に
いわさきちひろの絵の才能を認められ、
岡田三郎助に師事し、
デッサンや油絵を学び始めました。
17歳で府立大六高等女子学校(現都立三田高校)を卒用し、
その補習科に入学しました。
女学校卒業後、美術学校に進みたかった千尋でしたが
両親の反対にあい断念。
コロンビア洋裁学院に入ります。
同時に、女性書家の小田周洋について
藤原行成流の書を習い始めました。
この頃の時代背景としては、日中戦争がはじまり、
次第に太平洋戦争へ向かうという時代になっていきます。
最初の夫とは死別
1939年4月20歳の時、3姉妹の長女だったために
婿養子を迎えることになりました。
6月には夫の勤務地である旧満州大連に渡りました。
相手はいわさきちひろを気に入っていたようですが
いわさきちひろは好きになれず、
「そばによってきても鳥肌が立つ」
と妹たちに言っていたそうです。
形だけの結婚でした。
その結婚生活は1年ももたないうちに終わりました。
夫が自殺したからです。
1941年3月に夫の自殺により帰国することになりました。
昔は当たり前に行われていた
見合いによる結婚。
両親のすすめによる結婚ですが、
このような
納得できていない、気持ちのない結婚は、
お互いが不幸になるなと思いました。
特に、ちひろさんのように
やりたいことを我慢するという
何かの犠牲の上に成り立つものは、
結婚以外もそうでしょうが…
なかなか、うまくは行かないですよね。
私も、我慢はそろそろやめたいなと思います。
夫はいわさきちひろに気持ちがあっても
いわさきちひろがそれを受け入れない。
一緒に過ごしていても、
きっと息の詰まるような毎日を
お互いが送っていただろうと
想像することは難しくありません。
当時の女の人は、
それでも運命と思い
自分の気持ちを押し殺して
両親を立てて自分の人生を我慢して過ごすことも
多かったのかもしれませんが
いわさちひろは、
自分の感情を押し殺してまで
気持ちを抑えるということはできない
自分に対して
素直な人だったのだろうと思います。
いわさちひろの二人目の夫は、松本善明。
出会った当初、いわさきちひろさんは、
共産党支持者の一人でした。
愛国心をもって戦争を経験していたものの
実際の戦争の実態を知り、
自分の無知や戦争に対する苦悩を感じていた
いわさきちひろにとって
日本共産党の演説や考え方は、
いわさきちひろに感銘を与えました。
共産党に入党し、人民新聞記者として働きつつ
デッサンを学び、画家として自立する決心をしたころ
党の支部会で演説する善明と出会いました。
政治的な意見が一致し
二人は同士として歩んでいくことになります。
そして、いわさきちひろ31歳。
善明さん、23歳だった
1950年に結婚をしました。
善明さんは、
東京大学法学部政治学科を卒業しています。
東京大学在学中に共産党に入党しています。
司法試験の勉強をしていた善明さんを
いわさきちひろさんは絵を描くことで支え、
無事司法試験に合格しました。
1954年からは、弁護士として活躍します。
列車往来妨害事件や松川事件やメーデー事件に関わっています。
1967年の衆議院選挙で初当選し、
2003年まで共産党衆議院議員を11期務めました。
弱者に寄り添い、平和のために活動をつづけました。
2019年6月24日
老衰のため93歳で亡くなっています。
日本マクドナルド創業者の藤田田や
手塚治虫と交友関係にありました。
偉大な仕事をされていたことを知りました。
知人に手塚治虫がいることも
なんだか昔に生きていた人の感じがしましたが
まだまだ最近まで、活躍されていたのですね。
いわさちひろの息子は松本猛
1951年4月18日に一人息子の
松本猛さんをもうけました。
ちょうど、善明さんは、司法試験の勉強中
いわさきちひろさんは駆け出しの画家として
生活を支えていました。
狭い借間でちのみごを抱えて仕事を続けることが
困難だったので
6月に開拓農民として長野県北安曇郡に移住していた
いわさきちひろの両親に預けられました。
猛さんが東京芸術大学美術学部を卒業した年に
いわさきちひろさんは、なくなってしまいました。
猛さんは、美術・絵本評論家、作家、
横浜美術大学客員教授、
いわさきちひろ美術館常任顧問です。
1977年に東京のいわさきちひろ美術館を
1997年に安曇野いわさきちひろ美術館を
学生結婚した奥さんの由理子さん
(結婚当時東京芸術大学音楽学部学理科在籍中だった)
とともに設立し、
同館館長、長野県信濃美術館などを歴任しました。
お父さんの影響からか
選挙に出馬したこともありますが
残念ながら落選し、
政治家としての活動はされなかったようです。
芸大の美術科を卒業するほどですから
絵の才能があったことは、
まちがいないですね。
いわさきちひろさんゆずりだったのでしょう。
いわさきちひろの孫松本春野
松本春野さんは
絵本作家、イラストレーターです。
1984年にうまれ
多摩美術大学油絵画科を卒業しました。
やさしい色調と輪郭の線が特徴です。
「Life」や「おばあさんのしんぶん」などの
イラストを手掛けています。
自宅が東京のいわさきちひろ美術館の隣にあるので
小さいころから
おばあちゃんの子どもを描いた絵に
親しんできたのでしょうね。
松本春野さんの絵も、
優しいほわっとする水彩画のような絵で
多かれ少なかれおばあちゃんの影響もあるのかなと思いました。
いわさきちひろの両親
父は岩崎正勝さんは、陸軍築城本部の建築技師でした。
母は岩崎文江さんで女学校の教師をしていました。
結婚当初は、教師をしていた福井県の学校で
単身で教師を続けていました。
当時としては珍しく
共働きの家庭で育ちました。
お母さんも、
働きながらいわさきちひろを育てていたので
考え方などがその当時の女の人とは違って
自由で開かれた人だったのではないかなと思います。
そういうところが
いわさきちひろの強さ、自分の信念を曲げないところに
つながっているのではないかなとも思います。
いわさちひろと三宅裕司の関係は?
生後、2か月の息子猛を親元に預けていたので
猛に会いに片道10時間近くかけて通っていました。
胸が張るので自分で搾乳していたそうですが
赤ちゃんに吸わせていないと
そのうち、猛に会いに行ったときに
充分の母乳を飲ませられなくなるのではないかと
近所にいる子どもが生まれたばかりの夫婦に頼み
授乳していたそうです。
その子どもが三宅裕司だったということを
徹子の部屋で以前、話されたようです。
人のつながりって
本当に色々なところであるんだなぁと
つくづく感じてしまうエピソードです。
いわさちひろの功績
にじみ画法
水墨画にも通底する
水彩画での「にじみ画法」を確立した。
私も、図工の授業で子どもたちに取り組ませたことがありますが
簡単にでき、
置いた絵の具がどう模様作るか
どのように混ざり合うのかを
楽しみながら着色していました。
まさか、いわさきちひろさんが関係していたとは…
おどろきでした。
絵本画家の地位向上
物語中心の絵本ではなく、
絵を中心に展開する
感じる絵本の製作を試み
新しい表現を模索しました。
文を書いた作家の方が
印税率が高かったり、
絵の二次使用以降にはお金が支払われなかったり、
原画を許可なく転載されたり
裁断されることもあったそうです。
そういうことに、意義を唱え
画家の著作権という概念を広める運動をしました。
いわさきちひろは、
自身の原画の返却を出版社に要求していたそうです。
だから、原画が多く残っており
美術館も開くことができたのでしょうね。
そういう、不平等やおかしいと思うことに対して
それに気付き
権利を得るために行動することができる
絵からは想像できない
強い芯と考えをもっていたことを
そんなエピソードからも
垣間見ることができました。
いわさちひろの死因
1974年(昭和49年)
原発性肝がん(肝臓がん)のため死去。
享年55歳。
まだまだ、若くして亡くなってしまっていたのですね。
もっともっと
いわさきちひろさんの優しい絵を生み出して
後世に残してほしかったなと思いました。
まとめ
私が初めて
気に入った絵を描いていた
いわさきちひろさんは、
激動の時代を生き、
そして、
自分の考えや信念をもって生き抜いた
強い女性でもありました。
いわさきちひろさんの絵を
その生きざまとともに
絵に託された思いを感じに
また、美術館に行きたいと思いました。
いわさきちひろさんのイラストが描かれた
教科書にも取り上げられている絵本「おにたのぼうし」について
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