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藤城清治の現在は?MISIAとの関係や経歴。家族(父母、妻、子ども)影絵について紹介

作家

日本の影絵作家の第一人者である藤城清治さん。

日本の影絵に色を取り入れた先駆者でもあります。

幼少の頃テレビのコマーシャルなどで

かわいい影絵に見入ったことを覚えています。

そんな藤城清治さんの経歴や家族

影絵(切りえ)のやり方やエピソード

今も続くMISAさんとの関係や

現在について紹介していきます。

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藤城清治wikiプロフィール

生年月日:1924年(大正13年)4月17日

出身地:東京府(現東京都)

最終学歴:慶応大学経済学部卒

藤城清治の経歴

12歳で慶応普通部に入学し

絵画に才能があったことから

仙波均平氏に水彩画・油絵・エッチングを教わりました。

1940年(昭和15年)慶応大学経済学部予科入学。

児童文化研究会の公演で人形劇と出会いました。

その後、第二次世界大戦に突入。

滋賀(九十九里という話もある)の海軍航空隊に入隊し、

赴任地で慰問演芸会で、

人形劇を少年兵たちと行っていた。

戦争というくらい時にも

楽しみを忘れないようにしていたのでしょうね。

戦後は、慶応大学経済学部に戻り

油絵の作成や人形劇の製作に没頭しながら

慶応講師で人形劇研究家の小沢愛圀氏によって、

アジアの影絵芝居と出会い

影絵劇に着手し始めました。

戦後、材料や絵の具などの道具を集めるのに苦労する

物不足の時代、

それほど材料も道具もいらない影絵はよかったのでしょう。

1947年卒業後東京興行(映画会社:現東京テアトル)に入社し、

宣伝部で映画のパンフレットの編集を行っていました。

その一方

後の木馬座の前身人形と影絵の劇場ジュヌ・パントルを結成し

活動をしていました。

1948年、暮らしの手帳での影絵連載を始め

その後、7年間くらいで一度連載は止まりました。

この年、影絵劇も上演しています。

1950年 初の影絵絵本「ぶどう酒びんのふしぎな旅」を出版。

1951年テアトル東京をやめフリーになり、

その後、NHKの専属となり、数々の作品を世に登場させていきました。

藤城清治の受賞歴

1954年 東京都児童演劇コンクール奨励賞 影絵劇「泣いた赤鬼」

1956年 国際演劇参加読売児童演劇祭奨励賞、日本ユネスコ協会連盟賞

影絵劇「銀河鉄道の夜」

1980年 厚生省児童福祉文化奨励賞 影絵劇「シャクンタラー姫」

1982年 第37回文化庁芸術祭優秀賞 影絵劇「銀河鉄道の夜」

1983年 チェコの国際絵本原画展 金のリンゴ賞 絵本「銀河鉄道の夜」

1989年 紫綬褒章

1995年 勲四等旭日小綬章

1999年 児童文化特別功労賞

2004年 アメリカのニューヨーク、ワシントンにて古典を開催。

ニューヨークタイムス、ワシントンポストで紹介される。

翌年は、韓国で初の展覧会開催。以降展覧会を開催中。

2013年 第36回巖谷小波文芸賞

2014年 第24回宮沢賢治賞 絵本「画本 風の又三郎」  など多数。

長い期間にわたって

コンスタントに活躍されてきたのがわかる

受賞歴です。

ここに書いたのがすべてではないので

まだあるのには本当に驚かされます。

藤城清治の家族(父・母)

父は三菱銀行に勤務する銀行員。

母は元小学校教員でした。

3人兄弟の末っ子として生まれました。

戦前、三菱銀行にお勤めのお父さん

藤城清治さんは、中学生のころから慶應義塾に通っているので

学力も財力も

それなりにおありだったのかなあなんて思いました。

藤城清治の家族(妻・子ども)

妻は滝山千代さん。

1950年に結婚しました。

同じ年だったそうですが

それ以外の情報は出ていませんでした。

2006年82歳で亡くなっています。

一人娘がいます。

藤城清治亜季さんです。

2013年の藤城清治美術館の開館時から館長を務めています。

東京と那須を行き来しながら藤城清治さんのサポートを続けています。

藤城清治のいとこは東郷健

政治活動家・AV監督でした。

東郷健は、政治家一家に生まれたものの

後妻の子で、異母兄が自分のお母さんをいじめているのを

目にして過ごしてきました。

参議院や衆議院選挙、都知事選に立候補しましたが落選。

性的マイノリティ保護やマイノリティ解放運動を精力的に行い

LGBT活動家の草分け的存在で、

社会的少数者の社会的進出のきっかけを作ったという

評価がある一方で

おかまという言葉を世に広めてしまい、

逆に同性愛差別を広めてしまったという指摘もあります。

一男二女の父でした。

藤城清治さんは、彼の娘さんを養女にして

その娘さんが仕事のサポートをしているという話もあり

真相をもう少し調べていこうと思います。

藤城清治の切り絵のやり方

藤城清治清治氏の切りえの技術は

日本だけでなく世界でも例をみない

独特の技法です。

使用しているのは

かみそりの刃です。

それも、昔ながらの片刃のカミソリです。

昭和23年にこの技法について雑誌に取り上げられて以来、

工夫を重ねながら

このかみそりの刃のみを使用して作品を私たちに届けてくれています。

すべて手作業によるものです。

プロですから

道具が大切だということは容易に考えられます。

ということは、

藤城清治さんにとって

ベストな道具が昔から使用している

片刃のカミソリということなのですね。

きっと、切れ味とか切る線の美しさとか…

そんなことが他のナイフなどでは表すことができない

何か違いがあるのだろうなと

その秘密を知りたくなりました。

セロファンを重ねていくことで

美しいグラデーションを実現しました。

500種類以上のセロファンを使い分けながら

複雑で繊細な色の世界を表現しています。

背面からライトを当てて、

光と影のバランスを確認して調整しています。

藤城清治が影絵一本になったのは?いつから?

50代に差し掛かる頃から

影絵一本でやり始めたそうです。

それまでは、

影絵に取り組んでいたとはいえ、

劇団木馬座の公演や

人気キャラクターとなった「ケロヨン」の番組制作など

テレビや舞台の仕事に夢中になっていて

影絵とは疎遠になっていました。

木馬座から退くことになった時に

ふたたび暮らしの手帳の花森安治さんから

連載の声がかかりました。

そこで、カラーの影絵を始めようということになり

それがきっかけで

影絵を再スタートさせたといいます。

カラーの影絵の難しさは

撮影したものを印刷するので

モノクロより劣化して見えてしまうので

印刷したときに

実物に光を当てた時と同じような色で再現できるように

撮影方法を工夫したそうです。

暮らしの手帖社で作品を保管してくれていました。

藤城清治さんは、作品に頓着しないので捨ててしまうことが

よくあったとか…

そんなもったいない!!と思うのは私だけでしょうか。

カラー影絵の連載は1974年から

1996年まで続いたというのですから。

1974年で50代に差し掛かる頃と言う…

なんとも歴史というか

時代と言うかを感じてしまいます。

大きな仕事をされる人って

50代、60代からされる人も少なくないので

私もまだなにかできそうと

勇気をもらえます。

ゆっくりしたいなんて

言っている場合ではないのですね!!

そして、藤城清治さんの最新刊は、

2022年8月18日講談社より発売の「新装版 銀河鉄道の夜」です。

98歳にしてなお、活躍している藤城清治さん。

今後どのように活躍していくのか楽しみです。

藤城清治清治さんと歌手のMISIAさんの関係

2000年から2001年にかけての

MISIAのライブツアーで、

影絵を製作したのが二人の関係の始まりです。

それ以降、約20年にわたって親交を温めてきました。

藤城清治さんは

MISIAの音楽は、絵の中から響いてくるようだと言います。

藤城清治さん自身が人間の身体に響いてくる絵を描きたい

と思っていた藤城清治さんにとって

MISIAの音楽はその考えに

マッチしていたのでしょうね。

藤城清治さんの影絵は、音楽があってこそ心に響くとおっしゃるように

MISIAさんの音楽との相性がばっちりなのだろうなと思いました。

2021年のMISIAのコンサートツアーでは

藤城清治さんがこのコンサートのために作成した作品を用いて

コンサートのポスターやグッズが作られています。

2023年のコンサートのロゴも発表されていますね!

かわいいエネルギーのある小人MISIAさんがいます。

藤城清治の自宅は?

藤城清治さんの事務所やカフェが

目黒区にあるので

自宅も区内だと思われます。

カフェには時々いらっしゃるということなので

その近くでしょう。

2011年に自宅スタジオ展があったので

そこがご自宅??

実は、その場所は

私がある学校に勤務していた時の

通勤ルートでした。

藤城清治さんの名前は分からなかったのですが

影絵はめちゃくちゃ覚えていたので

その絵が看板に会って

あの影絵がここと関係あるのかな??って

毎日思いながら通勤していました。

まだ、スマホがない時代。

インターネットはあったけど。

今思えば、ちゃんと調べればよかったですよね。

2011年にはそこで作品展も開かれていたので

なんというチャンスを逃したのかと

悔やまれます。

藤城清治の現在は?

現在(2023年10月)99歳です。

現在も作品を作り続けており、

先の記事にも書きましたが

2023年9月20日には、

MISAさんのサイトに

ライブのロゴが公開され、

藤城清治さんのコメントも載っています。

97歳の時には、

毎日7000歩のウォーキングを日課とされていたそうで

99歳の今はどうなのかな?

歩数は減ったとしても

散歩はされているのかな?

閑静な場所だから

道路を歩いても気持ちがいいだろうなと

思いを巡らせてしまいました。

2020年には、YouTubeチャンネルやインスタで

動画配信もされ始め積極的に

新しいものも取り入れて

活動範囲を広げられている様子が分かります。

あくなき挑戦と言うところでしょうか。

本当に、見習わないといけないなと思います。

逆に、新しいものを取り入れ、

人とつながっていることで

生き生きと生きていけるのかなとも気付かされます。

感想

小学生の低学年の頃だったと思います

一度渋谷で

藤城清治さんの影絵の劇を見に行ったことがありました。

内容などは全く覚えていないのですが

大きなスクリーンに映し出される

影絵達に魅了されたのは今でも覚えています。

すっかり忘れていたのですが

今回記事を書くために、調べていく中で

記憶が思い出されてきました。

私は、いろいろなことを覚えていることが少ないのですが

あの時の衝撃というか

ワクワク感はしっかり思い出すことができました。

それほど、素敵な印象を幼い私に残してくれるほどの

インパクトがあったということでしょう。

幼少の頃に戻って

開催されている作品展を探して

見に行きたいなと思いました。

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