小学校4年生、多くの国語の教科書会社で掲載されている「ごんぎつね」
このお話を知らない人はいないのではないかと思えるほど
多くの教科書に掲載されています。
実は、結末は書き換えられていたということをご存じでしょうか。
長年にわたり教科書に掲載され続けている
ごんぎつねの名言やあらすじ、感想もお伝えしていきます。
ぜひ読んでみてください。
ごんぎつねのあらすじ
ひとりぼっちのこぎつね
ごんがいました。
ひるもよるもあたりの村で
いたずらばかりしています。
ある雨上がりの日
ぼろぼろの着物をまくしあげて魚を取る兵十を見つけました。
さかなやうなぎがとれました。
ごんは、兵十がいないうちにそれらの魚を
川へ戻してしまいます。
すると、兵十がそれを見つけてごんを追ってこようとしたので
首にウナギがまきついてはいたのですが
うなぎをまいたまま必死に逃げました。
10日たって村へ行くと
お葬式が行われています。
そこで、元気のない兵十の表情に気付き、
お母さんが亡くなったことを知りました。
その晩、ごんは、
兵十が川でうなぎを取ろうとしていた理由を思い、
いたずらしたことを後悔しました。
償いをしようと
とめてあったいわしやのかごのなかから
いわしをとって兵十の側に置きます。
次の日、山の栗をひろって兵十の家にいくと
兵十はいわしやからぬすっととおもわれ、
ほっぺたにきずをつくっていました。
くりや時にはまつたけをまいにちとどけました。
ある夜、兵十が加助に
だれからかわからないが、
くりやまつたけがとどくというはなしをしています。
ごんはこっそりそのあとを付けていきます。
加助は一人ぼっちになった兵十に神様のしわざだとつたえ
神様にお礼をいうといいといいます。
それを聞いたごんは、
神様にお礼を言われるのは引き合わないなぁと思います。
次の日もごんは、くりをもって兵十の家に行きますが
兵十に見つかってしまいます。
そのあと兵十は…
ごんぎつねの感想
思いが通い合うのが
ごんが死ぬ直前というのがなんとも悲しいお話です。
ひとりだったごんが、
お母さんをなくし、
自分と同じように一人になってしまった兵十に共感し
いたずらをしたことで
兵十のお母さんに、
うなぎを食べさせられなかったという
後悔。
それを埋めるように
くりや松茸を兵十に渡しに行っているうちに
分かりあいたいと思うようになったごん。
分かりあえたのが
最後、兵十に打たれた後という…
ゴンの少しずつの気持ちの変化が作品を通して丁寧に書かれ、
また、
兵十の気持ちは最後の最後で(話者の視点が兵十に移っていき)
どんどんと
変わっていく様子が書かれていることで
わたしは、切なさ、悲しみを余計に感じることができました。
兵十は、どれだけの後悔を抱えながら
この後過ごしたのかなとも思います。
わたしは、残された兵十の悲しみにも思いをはせ
一緒に楽しく暮らせたらどれほどよかったかなぁと感じずにはいられません。
ごんぎつねが国語の教科書に取り上げられたのはいつ?
1956年大日本図書で取り上げられたのが最初です。
その後、東京書籍、光村図書と順に掲載し、
1977年には光村図書、教育出版、日本書籍、東京書籍の4社が取り上げています。
1989年からは、すべての教科書で取り上げられているので、
おじいちゃんおばあちゃん世代から
ごんぎつねは学習され、
教科書掲載会社が多いことを考えると
ほとんどの人がごんぎつねを知っていると考えられますね。
新美南吉とごんぎつね
1931年、新美南吉が18歳の時に「赤い鳥」1月号に掲載されました。
書いたのは17歳の時です。
半田第二尋常小学校の代用教員をしている時
子どもたちに「ごんぎつね」を語って聞かせたそうです。
17歳で教員とは、
昔の人は、心も大人だったのだろうなと思うと
自分と比べることはおこがましいですが…
ごんぎつねのような話を考えられるのも
新美南吉の生い立ち、それまでの生き方があってこそなのだろうなと思います。
語って聞かせたごんぎつねなので
話に出てくる中山さまというおとのさまにもその土地にモデルがったようです。
地名も身近な場所に対応しているそうです。
風景描写もその当時ではどこでも見られた
目の前の風景を語っていたのでしょう。
情景描写が美しいのもこのお話ならではですね。
権というのも、中山のちかくの権現山にきつねが住んていたところから
ついた名前なのでしょうね。
ごんぎつねは書き換えられた?ごんぎつねの原文と教科書の内容の違いを解説!
赤い鳥に掲載されたごんぎつねの原稿は、
主催者である鈴木三重吉によって手を加えられているそうです。
かなりの箇所の削除と加湿、修正をし、書き換えているそうです。大体は、前文だそうでが、方言を標準語にしたり、権狐をごんとしたりという表記上のもののようでした。
内容やクライマックスの悲劇性、設定などはもとのままでした。
赤い鳥以降、
ごんぎつねが登場したのは昭和18年の第三童話集「花の木村の盗人たち」でしたが、
そこに新美南吉が投稿したものは、
赤い鳥に掲載された「ごん狐」だったそうで、
修正されたものを自分の作品として認めているのが伺えます。
題名を見ただけでも
草稿「権狐」→赤い鳥「ごん狐」→教科書「ごんぎつね」と
長い歴史があることを感じさせられますね。
ごんぎつねの名言
ごん、おまいだったのか。いつもくりをくれたのは。
この時、ごんは兵十がやっと自分のしたことを分かってくれた
意思疎通が図れたと感じた瞬間です。
そして、兵十のごんに謝りたいという思いがこの言葉として伝わってきます。
ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなずきました。
最後、死を前にしても
ごんは、分かってもらえたことが幸せだったかなと
優しい気持ちで読める、
でも、
なんだか残念な、やるせない気持ちになる一文です。
青いけむりが、まだ、つつぐちからほそく出ていました。
青いけむりがごんの意識と重なっているような気がします。
そして、兵十の無念さというか後悔というか
そんな気持ちもけむりに表現されているような
物語に思いを重ねるようなそんな最後の一文です。
ごんぎつね最後についての解釈
鈴木三重吉の書き換えで
一番の変えどころではないかと思われるのがごんぎつねの最後の文章です。
新美南吉は
「ごんぎつねは、ぐったりなったまま、うれしくなりました。」
と書いてありました。
ここが
「ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなずきました。」
と動作の叙述のみにして、余韻を残したのですね。
わたしは、授業で子どもたちに問う時に
ごんは最後死んでしまったか?
とか、
ごんは幸せだったか?
など、話し合わせたことがあります。
草稿では、
ごんがうれしくなりました。
とあるので、
新美南吉としては、
自分の行為、償いの気持ちを分かってもらえてよかったと考えることができます。
気持ちは伝わったものの
ごんと兵十とが分かりあえたその瞬間にごんの命が消えそうなこと。
命と引き換えに通じ合えたということがこの話の悲劇ですね。
ごんぎつねで伝えたかったこと
色々なことを受け取れると思いますが
わたしとしては…独断と偏見ですが…
後悔先に立たず
ということ。
ごんにとっての後悔は、
兵十にいたずらをしてしまったこと
兵十にとってのそれは、
ごんを打ってしまったこと。
どちらも仕方ないと言ってしまえば仕方ないことではあるのですが…
後悔しないように行動していきたいなと思います。
贖罪
悪いことをしたら反省して償いをすること。
やってしまったことは無にできないので
その後どうするかということが大切ですね。
その後の行動が大切です。
思い込みでとっさに行動しないこと。
ごんは、一人ぼっちのさみしさからいたずらをしていたのかもしれません。
ここらへんは、光村図書1年生のたぬきの糸車と似ているのかも…
ただ、そのいたずらも、
よく読むと、盗みや放火です。
いたずらでは済まされるものではないと思います。
新美南吉が児童に語っていた時代の人々にとって
ごんは、脅威だったことでしょう。
そこで、兵十はためらいなく銃の引き金を引いたのでしょう。
まさか、くりやまつたけを置いてくれているとも思えず
瞬時にごんを打ってしまった。
この思い込みと瞬時の行動がなかったら…と思ってしまいます。
ごんぎつねの登場人物や出版社など
ごんぎつねの絵本はイラストを変え、出版社を変え、
色々なところから出されています。
イラストは
黒井健、箕田源二郎、いもとようこ、かすや昌宏さんなど多くの方が書かれています。
光村図書の教科書のイラスト(R2版)は、
かすや昌宏さんのものを採用しているようです。
好きなイラストで読むのがおすすめですが
こちらでは、
調べた中で一番出版年月日が古い絵本を紹介します。
著者 | 新美南吉作 箕田源二郎イラスト |
出版社 | ポプラ社 |
出版年月日 | 1969年3月1日 |
ページ数 | 36ページ |
定価 | 1925円 |
対象年齢 | 5歳から |
登場人物 | ごん、兵十、加助、いわし売り、弥助のおかみさん |
以前、国語の教科書の小学校3年生で取り上げられていた
新美南吉の作品「てぶくろを買いに」については
こちらで詳しく紹介しています。
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