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あまんきみこの現在と夫、家族。プロフィールや教科書に載った作品一覧も

作家

あまんきみこさんの代表作は「車のいろは空のいろ」シリーズです。

この中におさめられている一つの短編「白いぼうし」は

今も、教科書に掲載されている作品です。

日本では数少ないファンタジーの書き手と言われていて

独自の世界を築かれています。

そんなあまんきみこさんについて

教科書掲載作品や生い立ち、夫や家族などを紹介していきます。

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あまんきみこのwikiプロフィール

本名   阿萬紀美子

生年月日 1931年8月13日

出身地  旧満州撫順市(現中国東北部)

最終学歴 日本女子大学家政学部児童学科通信教育部

あまんきみこの生い立ち(幼少期)

当時では珍しい一人っ子。

父と母、祖父母、おば2人とあまんさんの7人家族です。

小さいころ、

毎晩眠りにつく前にお話をしてもらっていました。

祖父からは偉人伝など

祖母は、民話。

上のおばさんはアンデルセン童話、

したのおばさんは幽霊の話が多く

母は、あまんさんにそっくりな主人公にした

作り話を作って読んでくれていました。

それぞれに得意分野があり

様々な分野のお話を聞いていて育った体験は

あまんさんの感性をはぐくむのにじゅうぶんだったことでしょう。

また、体が弱かったあまんさんは

横になっていることが多く、熱にうかされてボーっとなっている時に

窓の向こうに見える空だけが楽しみだったと言います。

おとなの中に子ども一人でいたことの孤独感や

寝ていることが多かったという不安感のようなものが

空想の世界へあまんさんを誘っていったのかもしれませんね。

変化する空の様子は空想するのに楽しい場所だったことと思います。

 

敗戦後、何が起きるかわからないので外出できず、

髪は女の子と分からないよう短く切っていたそうです。

外出できない代わりに

家にあった歴史物などをよく読んでいました。

揺本やダンテの『神曲』を音読していました。

これが、14歳の時のことです。

時代もあったとは思いますが、

女の子とばれないように髪を短く切り、

外出できないなかでの楽しみが

本だったのだろうと思うと

本やお話の中に

自分が体験できないことなどを重ね合わせたり

想像したりしていたのかなと思います。

小さいころからずっと物語や本と離れられない生活をしていたのですね。

きっと、自覚をしないうちに

あまんさんの絵本作家としての血肉になっていたのでしょうね。

あまんきみこの結婚は20歳

日本への引き上げ後、

お母さんのがんの発見手術などがあり

大学進学をあきらめて看病をしていたそうです。

先を案じた母を安心させるために

お母さんが気に入っていたおじさんの同僚の男性と結婚することにし、

婚約した日の翌朝にお母さんは永眠。

その後20歳で結婚。

お母さんも他界されて

母親になったあまんさんは

心細く、そして必死に子育てをされたのでしょう。

子育ては本当に未知の世界なので

私も母親に相談しながら行っていたので、

母親がいなかったら…と思うと

今以上に情報がない中での子育ては本当に不安だっただろうなと思います。

あまんきみこの経歴 日本女子大学児童学科の通信教育部に入学

若くして母になったあまんさん。

やりたいこと、知りたいことがまだまだあったと思います。

新しいことを知りたい、学びたいという気持ちが芽生え、

気付けば受験勉強を始めていたそうです。

そして、どうやって大学に行けばいいか見当もつかなかった当初

新聞に通信教育10周年の広告が載っていたそうです。

そこで、日本女子大学家政学部の児童学科の存在を知りました。

まさに、引き寄せの法則ですね。

思いが強ければ情報が、向こうからやってくる!

子どもたちを幼稚園に送り届けた後に

勉学に励みました。

授業のレポートとして提出した作品が大学の教授の目に留まり

その教授から与田準一さんを紹介さました。

その後、

与田準一に師事し、

その紹介によって卒業後童話雑誌「びわの実学校」(坪田譲治主宰)に

最初の作品「くましんし」を発表。

ここから児童文学作家「あまんきみこ」が誕生していったのです。

その後、

1968年、掲載した作品をまとめて「車のいろは空のいろ」を刊行します。

それが第一回日本児童文学者協会新人賞、第6回野間児童文学賞を受賞しました。

今なら、インターネットなどで調べればすぐに

情報も手に入るのでしょうが、

自分のやりたいことを実現するのは

なかなか大変な時代だったと思います。

その思いの強さと行動力と

あまんさんの努力が夢の実現につながっているのでしょう。

人とのつながりの大切さは、

いつの時代でも大切なものですね。

多くの受賞歴

1968年 車のいろは空のいろ 

        第一回日本児童文学者協会新人賞、第6回野間児童文芸推奨作品賞

1979年 ひつじぐものむこうに 産経児童出版文化省

1981年 こがねの舟 旺文社児童文学賞

1983年 ちいちゃんのかげおくり 小学館文学賞

1986年 ぽんぽん山の月  絵本にっぽん賞

1989年 おっこちゃんとタンタンうさぎ  野間児童文芸賞

1990年 だあれもいない ひろすけ童話賞

2001年 紫綬褒章

2004年 きつねのかみさま 日本絵本賞

2016年 第51回東燃ゼネラル児童文化省

2023年 車のいろは空のいろ ゆめでもいい  産経児童出版文化賞大賞

あまんきみこの現在(2023)

あまんさんは、2023年現在、京都府で暮らしながら、作家として活躍されています。

2022年ポプラ社から刊行された

1968年の刊行以来読み継がれている

ロングセラーの「車のいろは空のいろ」シリーズの

第4巻、2000年以来の新作「新装版 車のいろは空のいろ ゆめでもいい」は、

第70回産経新聞児童出版分化賞 対象を受賞し、

2023年6月6日に贈賞式に登壇されました。

昨年度90歳でなお、

本を出され、

それが変わらずの安定した作品になっているのが素晴らしいですね。

いつまでも自分の仕事をし続けられることが本当に羨ましくもあり、

素敵だなと思います。

人生100年時代のお手本のような生き方をされていますね。

あまんきみこの夫

あまんさんは、20歳で結婚したそうです。

満州での暮らしと引き上げの心労で胃がんを患ったお母さんが

一人娘の将来を案じて結婚を勧め、

19歳で婚約したその翌日に亡くなりました。

お母さんが気に入っていた、

おじの同僚の男性がいて、

その人がご主人、4歳年上の阿萬英明さんです。

20歳の時に結婚して、ご主人の転勤に伴って東京に移住しました。

東京に移住していたからこそ、

大学へ行き、与田準一さんとも出会え

絵本作家あまんきみこが生まれたのですね。

さて、そのご主人英明さんは、

後年、日本新薬株式会社の代表取締役会長を勤められました。

本社が京都にあったので、そのころ京都に転居されたのでしょう。

1989年に英明さんは70歳で逝去しました。

ご主人がなくなってから自然と黒っぽい服が落ち着くので

黒っぽい服を着ることが多くなったそうです。

当時の人と比べることはできませんが

今20歳と言えば

私は、まだまだ大学生で自分に時間を使うので精一杯でした。

そんな中結婚され、40年以上一緒に過ごされたご主人との別れ

そして、それに迫るくらいおひとりで過ごされた時間。

どんな思いで、どんなふうに過ごされたのかなと私は思います。

あまんさんの書かれた作品の中に何かヒントになるものが

隠されているものがあるかもしれないですね。

少しずつ時間をかけてそんな視点で物語を読み解くのも

おもしろいなと感じています。

あまんきみこのお子さんは二人

女の子と男の子が一人ずついます。

あまんさんのお母さんが、あまんさんにされたように

良く、子どもたちにお話をつくってあげていたそうです。

「天井にネズミさんがいて、みているわよ。」

とか

大きな雷を怖がって抱きつく子たちに

「雷さんにお電話するわね。」

などとお話していたそうです。

幼少期に聞いていたお母さんからの作り話の要素が

ちりばめられているのかなと思いました。

母から子へ

やっぱり、自分の体験が、子育てに生かされますよね。

子どもたちに色々な経験をさせることの大切さを

感じることができました。

あまんきみこの教科書に載った作品①ちいちゃんのかげおくり

あまんさんの作品には戦争のものがありますが

その一つが「ちいちゃんのかげおくり」です。

病弱だったあまんさん、

余り運動が得意ではなかったそうで、

唯一気後れせずにあそべたのが

かげおくりだったそうです。

家族みんなでやったかげおくり。

次の日、お父さんは戦争に行き、

残されたきょうだいでかげ送りをして遊びます。

ついに原爆が落とされ

ちいちゃんは家族とも離れ離れになってしまいます。

詳しいお話、作品紹介はこちらからどうぞ。

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あまんきみこの教科書に載った作品②おにたのぼうし

ある、節分の日

1年住み着いた家でも豆まきがおこなわれ

おにたは、その家を出て

また、住める家を探します。

おにたは、おにの子。

でも、人間に危害は加えません。

逆に色々いいことをしてくれているのに…

人間は鬼は悪い、怖いというのです。

そんな中

おにたが住めそうだと見つけた家にいた女の子から

言われた言葉で…

詳しいお話、作品紹介はこちらからどうぞ。

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あまんきみこの教科書に載った作品③白い帽子

タクシー運転手の松井さんは

しんしを乗せていました。

車の中は、

いなかのお母さんが送ってくれた夏みかんのにおいが漂っています。

しんしがおりた後

白い帽子が道に置いてあるのを見つけ

その帽子をどかすと中からちょうちょが飛び出していきました。

名前には、幼稚園の男の子の名前が書かれています。

ちょうを捕まえて置いておいたのです。

代わりに松井さんは夏みかんをぼうしの中に入れました。

車に戻るとシートに女の子が座っていて

「菜の花町へ行きたい」と言いました。

女の子を乗せて走り出したはずなのに…

あまんきみこの教科書に載った作品④きつねのおきゃくさま

はらぺこのキツネが、食べ物を探していると

痩せたヒヨコが歩いてきました。

食べようと思いますが痩せているので

太らせてから食べることにしました。

そこで、自宅に連れて行き

世話をしました。

ヒヨコはキツネを心底信用し

お兄ちゃんと慕います。

ヒヨコは散歩に行くと

痩せたアヒルを連れて戻ってきました。

親切と言われたキツネは、

アヒルの世話もしました。

やがて、アヒルも丸々太りました。

さらに、痩せたウサギを連れてきました。

神様みたいと言われ

気持ちよくなったキツネは

とうとう3匹を育てました。

ある日、山のオオカミがやってきて…

詳しいお話、作品紹介はこちらからどうぞ。

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あまんきみこの教科書に載った作品⑤名前をみてちょうだい

小学校2年生、東京書籍の教科書に掲載されています。

おかあさんから、

帽子をもらいます。

そこには、ししゅうで名前が書いてありました。

帽子をかぶって出かけようとしたところ

風が吹いて帽子がとばされてしまいました。

同じ帽子をかぶっている動物に出会うのですが…

名前を見てちょうだいの詳しいお話、

作品紹介はこちらからどうぞ。

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